ドナルド・キーン (Donald Keene)

日本の美意識を取り上げていこうとする際、それを中心に論じてみたいいくつかの項目が頭に浮んでくる。「暗示、または余情」、「いびつさ、ないし不規則性」、「簡潔」、「ほろび易さ」である。そうした互いに関連する美的概念は、日本人の美的表現の、最も代表的なものを志向している。とはいえ、これらの反対概念、すなわち「誇張」、「規則性」、「豊饒」、そして「持続性」なども、決してなくはないこと、これは繰り返すまでもない。

2 thoughts on “ドナルド・キーン (Donald Keene)

  1. shinichi Post author

    (sk)

    日本の美意識の中には、「暗示、または余情」、「いびつさ、ないし不規則性」、「簡潔」、「ほろび易さ」というクールなものと、「誇張」、「規則性」、「豊饒」、「持続性」というアンクールなものとがあるという指摘は、とても面白い。

    「暗示、または余情」、「いびつさ、ないし不規則性」、「簡潔」、「ほろび易さ」で浮かんでくるのが、わび・さび。

    「誇張」、「規則性」、「豊饒」、「持続性」で浮かんでくるのが、三島由紀夫。

    三島由紀夫が緑が丘のあの家に住んでいたからといって、それだけの理由で好きになれるわけでもなく、西洋に対するコンプレックス、肉体についてのコンプレックス、戦争で死ななかったという思いなどなど、怨というか陰というか、そういうものに惹かれるわけでもない。

    Donald Keene の言う「暗示、または余情」、「いびつさ、ないし不規則性」、「簡潔」、「ほろび易さ」。
     
    そして、Leonard Koren の言う “a beauty of things imperfect, impermanent and incomplete“、”a beauty of things modest and humble“、”a beauty of things unconventional“。
     
    そういうものに惹かれるほうが、より日本的だと思うし、それにそもそも、ずっとずっとかっこいい。

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